あれから5ヶ月・・・・4月18日(月)
2011年 04月 18日
今日は4月18日、私の父が歯医者に行ったっきり自宅に戻れなくなってからちょうど5ヶ月が経ちました。
歯医者に行ったきりって・・・!?と思われるかもしれないのですが、正確にいうと「入れ歯」を直しに行ったっきり・・というのがホントかな。
昨年春からとても痩せた父に私たち家族は「ご飯を食べなくちゃだめじゃん」とか「食欲ないんだったら運動すればいいんだよ」などと言っては痩せた父を励ましていました。
病院に行っても「健康そのものですよー」と言われ続け、それでも「しんどい」というので「入れ歯がしっかり合えばまたちゃんと食べられるようになるよ、歯医者に行きなよ」と家族は言い、父も「そうだな」と納得。11月18日に市内のちょっと大きな病院の歯科に自分で運転して行きました。でもそこで歯を見せる前に呼吸困難になり救急車で運ばれてしまいました。
地元の病院ではわからず、岡山の大学病院に転院。
そこで言い渡された病名は「筋萎縮性側索硬化症」いわゆる「ALS」というもの。
以前クイズダービーというクイズ番組に出ていらした篠沢教授も患っている病気というと結構ご存じの方も多いと思います。
筋肉がだんだん死んでいってしまう病気で国の難病指定にされています。
言われた時は「は?何言ってんですか?国の難病指定にされているような病気をあっさり口にしないでください」と先生に食ってかかってしまいほど信じられませんでした。
この病気は100人いれば100通りの病気の進行具合があり医学書通りにはいかないらしい。
だいたい手足から動きが悪くなったとかつまづくようになったとか・・・という発症例が多いなか、父は呼吸器から来てしまったらしいのです。
入院と同時にBIPOPという呼吸器を装着、ご飯は口からは食べられなくなってしまいました。
この病気はまだ原因も治療方法も見つかってはいないとのこと。
「病院からはすぐに会わせたい人には連絡するように・・」と言われ北海道や東京、静岡から親戚や私の友達が駆けつけてくれました。
そして、かつて当社で塗装工事をさせていただきそのあと、家族ぐるみでお世話になっているお客様が何回も病院にいらしてくださり、何も知らない父は大喜び
地獄のような年末を越え1月7日には気管切開をして「人工呼吸器」を装着しました。
この手術を行うにあたっては賛否両論でした。
装着することにより声は失ってしまいましたが私たちはこの道を選んで良かったと思っています。
病院に寝泊まりする毎日で昼と夜の逆転生活にも慣れ、痰の吸引もできるようになってきました。
あれから・・・5ヶ月。
もう涙はなくなってしまっただろうと思うくらい泣いた5ヶ月だったように思いますが、それ以上にいろいろな方々に助けていただいたなーと思う毎日です。
ALS協会の方々、遺族の方々、患者家族の方々、もちろん先生看護師さん、友達・・・。
この人たちがいなければ今の私たちは絶望の淵から抜け出せなかったと思います。
そしていろいろわかってきた医療の格差。
近い将来在宅での介護が始まることになりますが、父と楽しみながら行ってきたいと思っています。
人工呼吸器をつけても「生きる」と決めてくれた父の為に。
そして全国にいる「ALS患者」が頑張っている限り私たちも頑張ります。
歯医者に行ったきりって・・・!?と思われるかもしれないのですが、正確にいうと「入れ歯」を直しに行ったっきり・・というのがホントかな。
昨年春からとても痩せた父に私たち家族は「ご飯を食べなくちゃだめじゃん」とか「食欲ないんだったら運動すればいいんだよ」などと言っては痩せた父を励ましていました。
病院に行っても「健康そのものですよー」と言われ続け、それでも「しんどい」というので「入れ歯がしっかり合えばまたちゃんと食べられるようになるよ、歯医者に行きなよ」と家族は言い、父も「そうだな」と納得。11月18日に市内のちょっと大きな病院の歯科に自分で運転して行きました。でもそこで歯を見せる前に呼吸困難になり救急車で運ばれてしまいました。
地元の病院ではわからず、岡山の大学病院に転院。
そこで言い渡された病名は「筋萎縮性側索硬化症」いわゆる「ALS」というもの。
以前クイズダービーというクイズ番組に出ていらした篠沢教授も患っている病気というと結構ご存じの方も多いと思います。
筋肉がだんだん死んでいってしまう病気で国の難病指定にされています。
言われた時は「は?何言ってんですか?国の難病指定にされているような病気をあっさり口にしないでください」と先生に食ってかかってしまいほど信じられませんでした。
この病気は100人いれば100通りの病気の進行具合があり医学書通りにはいかないらしい。
だいたい手足から動きが悪くなったとかつまづくようになったとか・・・という発症例が多いなか、父は呼吸器から来てしまったらしいのです。
入院と同時にBIPOPという呼吸器を装着、ご飯は口からは食べられなくなってしまいました。
この病気はまだ原因も治療方法も見つかってはいないとのこと。
「病院からはすぐに会わせたい人には連絡するように・・」と言われ北海道や東京、静岡から親戚や私の友達が駆けつけてくれました。
そして、かつて当社で塗装工事をさせていただきそのあと、家族ぐるみでお世話になっているお客様が何回も病院にいらしてくださり、何も知らない父は大喜び
地獄のような年末を越え1月7日には気管切開をして「人工呼吸器」を装着しました。
この手術を行うにあたっては賛否両論でした。
装着することにより声は失ってしまいましたが私たちはこの道を選んで良かったと思っています。
病院に寝泊まりする毎日で昼と夜の逆転生活にも慣れ、痰の吸引もできるようになってきました。
あれから・・・5ヶ月。
もう涙はなくなってしまっただろうと思うくらい泣いた5ヶ月だったように思いますが、それ以上にいろいろな方々に助けていただいたなーと思う毎日です。
ALS協会の方々、遺族の方々、患者家族の方々、もちろん先生看護師さん、友達・・・。
この人たちがいなければ今の私たちは絶望の淵から抜け出せなかったと思います。
そしていろいろわかってきた医療の格差。
近い将来在宅での介護が始まることになりますが、父と楽しみながら行ってきたいと思っています。
人工呼吸器をつけても「生きる」と決めてくれた父の為に。
そして全国にいる「ALS患者」が頑張っている限り私たちも頑張ります。
by shipshinobu
| 2011-04-18 10:58
| ALS